ドクター&ナースのつぶやき

 

平成28年7月号

飯塚医師会訪問看護ステーション 樋渡 弘子

【ステーションのP・R、特徴】
 飯塚医師会訪問看護ステーションは、平成6年4月1日に設立し22年が経過しました。当ステーションは、平成27年7月に飯塚市の中心街に移転し、心機一転し頑張っています。私は、訪問看護ステーションと居宅介護支援事業所の管理者兼務を行っています。訪問看護スタッフは、看護師5名(2名兼務職)・理学療法士2名の7名スタッフとなっています。ケアマネージャーとも密に連携が図れている為、速やかに総合的な看護の提供ができており、利用者数も徐々に伸びている状況です。これはひとえに役員の先生並びに理事会の先生方のご理解ご支援とスタッフの頑張りだと思います。スタッフは、みな優しく、おせっかいすぎるほどお人よしの集団で、御利用者・御家族の立場に立った看護の提供に真剣に取り組んでいる志の熱い人達です。男性のリハスタッフは私たち以上にきめ細かい心で接しており見習わなければと思っています。休憩時間は、プライベートの話などで笑いに満ちており仕事の原動力となります。私達は自己研鑽に努め、各々の個性や特技を活かし、質の高いサービス提供を心がけています。経験年数は設立当初から20年以上の豊富な経験者がいます。又、3学会合同呼吸療法認定士の資格者が2名、認知症ケア専門士資格者が1名おり、専門職を活かしたケアに務めることでより地域にお役に立つことができればと思っています。私達は、御利用者だけでなく御家族にも寄り添い真に向き合い少しでも心や身体を癒すお手伝いができればと思っていますが、時に私達のほうが癒されることもあり、生き方を考えさせられます。これからも出会いを大切に関らせていただきたいと思っています。

【印象事例】
 今までかかわらせていただいた中で特に印象に残った出来事を紹介させていただきます。
 独居の女性、慢性関節リウマチ、要介護5、認知症なく意志の強い人でした。四肢の拘縮強く、20数年と臥床できず椅子に座ったまま過ごした方との出会いでした。自宅での生活は難しい状況でしたが、「最後は自宅で死にたい、朝になったら誰かが来て死んでいた」という最後でいいから自宅で過ごしたいといっておられました。頚椎拘縮による気道確保も困難となった時に自分の意志で病院へ救急搬送され、病院から、「看護師さんに最後をどうしたいか伝えているので呼んでくれ」という連絡がありました。私は、電話で利用者様の思いを伝え、病院へかけつけた時は、御自分の意志で人口呼吸器が装着されその後間もなく永眠されました。生前にいつかはこうなる時がくるだろうと思っていましたので、ノートに記そうと話し合っていましたが「まだいいわ、時が来たらそうするから」といっておられました。きっと自分でも決めかねておられたのだと思います。自分らしく生きて最後を迎えられるように、私達は利用者様の思いに寄り添いお役に立つことができればと思っています。御利用者・御家族の希望や思いを受けとめアドバンス・ケア・プランニングを実施していきたいと思いました。
【地域の特色】
 飯塚市の人口は、28年1月において130,402人、高齢化率28.96%となっており全国平均を上回っています。飯塚医師会は飯塚市の委託を受けて地域包括推進センターを設置し「地域・在宅医療の充実」と「継続性のある医介サービスの提供」を目的とし、域内を5ブロックに分け地区の拠点病院を中心に診療所や介護事業所との連絡協議会を作り、地域包括ケアシステムの構築に向けた活動を現在行っています。
 嘉飯地区の訪問看護ステーションは、17ヶ所あり、ここ2~3年で6ヶ所のステーションが新規に設立し、ステーションの連絡協議会も活発に行っております。共に地域の医療や介護を守っている仲間という意識を持って連携を図り、地域包括ケアシステムの構築に向けて訪問看護師としての役割を考えていかなければと思っています。

ページの先頭へ