第2回作文コンクール入賞作品集
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⃝一般の部 優秀賞 ― 「ニコニコ先生」てしまっていた。 先生は、院で調合した薬を出すから塗ってごらんと言われた。それには、あなたが心配する副作用の強いものは入っていないし、来年一年生になれば症状も落ち着いて治るからねと、予言めいた事も言われた。 驚いた余韻を引きずったままの私を尻目に、娘がうれしそうな顔で話しかけてきた。「おじいちゃんやさしかったね。ニコニコさんだったね。」 塗り薬は、効果てきめんだった。 娘の回復ぶりを見てもらうのを口実に、お礼を言いたくて、再び病院へ行った。ところが、若先生と呼ばれる息子さんとおぼしき人の診察だったので、前回の事を切り出してみた。すると、先代のおじいちゃん先生が時々診察することはあっても、今はほとんどが若先生だと聞き、恐縮しながらも先代のおじいちゃん先生に、お礼をお伝え願えないかと申し出てみた。若先生は〝伝えます〟と言っては下さったが、直接お礼が言えなかったことに内心ひどく落ち込み、その日はすごすごと帰って行った。 その半年後、娘は小学一年生になり、頻繁に病院へ行っていたのが見違えるほど元気になっていた。おじいちゃん先生の言う通り、水玉もひどくならずに気がつけば、一年生は皆勤賞だった。 それから更に四年が過ぎ、皮膚科を探す母が私に、おじいちゃん先生の事を聞いてきた。褒めちぎる私の話を覚えていたようで、もしかすると又、代診の日があるかもと、私は久々に病院へ確認の電話を入れてみた。「先代は…亡くなったのですよ、昨年。」 思いもしない返事に絶句してしまった。電話を切ってから、ワァワァと声をあげて私が泣き出すと、娘は何事かと心配し飛んで来てくれても、しばらくは涙が止まらなかった。 もう一度会いたかった。でも、それはもうできない。会って直接お礼を言うことも叶わない。娘が治ったことも嬉しかったが、母親の心をも治した名医に感謝していると、御本人に伝えたかった。それがいつか言えるだろうと思っていた自分の怠慢さも悔しかった。 あの時、幼かった娘がもうすぐ二十歳になろうとしている。相変わらず敏感肌ではあるが水玉模様になることは、もうない。 おじいちゃん先生にとっては数多い患者の内の一組だったのかもしれません。でも私にとっては忘れられない、いや、忘れることなど到底できない素晴らしい先生でした。 御本人に言えなかったお礼をこの場をお借りして、伝えてもよろしいでしょうか? 先生に診てもらえたことをとてもうれしく思う患者がここにいます。あの時は本当にありがとうございました。9

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