第1回作文コンクール優秀作品集
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入賞作品「夫のカルテ」 四年前五十九歳の夫は、行きつけのカラオケ店でいつもの声が出ず、クーラーがやけに喉を刺激するので翌日受診した。翌週の精密検査も一人で受診し、病名を渋る医師を追及し肺がんの宣告を受けた。「俺は絶対死なない、死んでたまるか。俺なりの治療をす一般の部 優秀賞糟屋郡篠栗町郡島 久美子(62歳)る。」と私に宣言した。 頑固で偏屈ときている。徐々に身体の痛みを訴え、処方された鎮痛剤の効果が薄れ夜間不眠が続いた。ある日、「早く帰って来てくれ、頭が働かなくなった。」痛みと不安でパニックになったらしい。直ぐ受診し暫く通院したが、鎮痛剤の服用間隔は短くなり、痛みも我慢の限界を超えついに入院することになった。食欲は徐々に低下し身体は痩せ細り足取りも覚束なくなった。 意識が薄れていくある日、看護師さんがベッド柵を静かに取り外しながら言われた。「ご主人との距離が近くなりますね。」夫とは柵越しに接していたが、それ以来何の障害もなく夫と触れ合うことができた。何度も心の中で呟いた。「ご主人との距離が近くなりますね。……」仕事と介護で疲れ切った心に沁みわたる素敵な響きを感じた。辛いけど嬉しい気持ちになった。意識が無くなり、口が半開きになり口腔が乾燥している。歯科衛生士さんには丁寧に口腔ケアをしていただき、傍らでそのやり方を教わった。あるとき、洗浄液にミントの香りがする。看護師さんに尋ねると、さりげなく「いい香りでしょう。」爽やかなミントの香りがこころに沁み渡っていく。辛いけど幸せな気持ちになった。 私は、夫の発病前から大学の通信教育を受けていた。夫は自分の葬儀と私の卒業試験日を気に懸け、受験日までは延命したいと主治医に哀願していた。試験当日の朝五時枕元の携帯電話がなった。「危篤です。」受験を諦めるかと思いながらも受験票と筆記用具をバックに入れ病院に急いだ。病室では息子そして主治医と看護師さんが私の到着を待ち構えてあった。「母親には電話しないようにお願いしたのに……。僕が看ているから受験しておいで。受験しないとお父さん悲しむよ。お父さんの遺言だろう『受験するように』っ8

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