第1回作文コンクール優秀作品集
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入賞作品⃝小学生の部 優秀賞 ― 「おじいちゃんとの別れ」「おじいちゃんとの別れ」 運動会の翌日、おじいちゃんが天国に行きました。小学二年生の運動会の翌日、私は、友達と一日中遊んでいました。 友達と「この病院におじいちゃんが入院してるの!!」と病院の建て物を見ながら話した後にお母さんから友達のお母さんに「おじいちゃんが死んだから帰っておいで」と小学生の部 優秀賞久留米市・小学5年香月 凜保(11歳)電話が入った時の事をつい、先日の事の様に覚えています。 私が2才の梅雨が明ける頃に、おじいちゃんが入院しました。貝を食べて食中毒が原因による肝ぞう機能の低下と、合ぺい症により7ヶ月間の入院生活を送りました。 初めは、救急車で救急病院へ入り、たくさんのチューブにつながれ、話しをする事も出来ない、私は面会も出来ませんでした。 少し落ちつき、一般病棟へ移り私もやっと、面会に入れるようになりました。 お母さんが働いている病院に遊びに行く感覚で足を運んでいた様なものでした。実は、その頃の事はあまり覚えていません。退院に向け、おばあちゃんは仕事をやめ、お母さんは、ケアマネージャーとしておじいちゃんが家で暮らしやすい様に手すりをつけたりと皆でおじいちゃんの帰りをまちました。 病院では、リハビリの方や看護師さんが、日常動作訓練をやり、杖で歩けるまで回復しました。 おじいちゃんの性格、おじいちゃんが好きな事、嫌いな事、何でも知ってる、ケアマネさんが、おじいちゃんに一番合っている、デイサービスを選び退院と同時にスタートしました。その頃のおじいちゃんは、昔の怖い怖いおじいちゃんではなく、ニコニコ優しいおじいちゃんになっていました。 認知症の症状もあり、デイサービスに行っても「帰る」と言ったり、家にいても、「帰ろうか?」と言う事があり、私はおじいちゃん「何言ってるんだろう?」「どうしてわからないのかな?」と時には、私の方が怒りたくなる事がありました。 それでも、デイサービスの職員の方々は、おじいちゃんにあわせて怒る事もなく接していました。 私が小学一年生の秋に肺炎になり、入院してからは、二時間おきのたんの吸引、吸入と介護量が増え、おばあちゃん一人の介護力では家でささえることがむずかしくなりました。 自動車に乗れないおばあちゃんは、毎日自転車で四十分かけ、となり町の病院まで顔を見せ体をふき、お世話をしていました。学校が休みの日は、私も一緒にバスやタクシーで病院へ行く事が日程でした。私が一つ心残りなのが病室がくさいなど文句をつけて、病室に入らなかったことです。今の私は、それだけが心残りです。運動会の翌日十月二日おじいちゃんは静かに天国へ旅立って行きました。 運動会が近づくと、いつも思い出します。17

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