勤務医のつどい vol.45
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ともに語ろう、ともに考えよう、ともに行動しよう勤務医のつどい福岡県医師会 勤務医部会福岡市博多区博多駅南2丁目9番30号 福岡県医師会館vol. 45勤務医部会・男女共同参画部会合同講演会ともに支える~医師のワークライフバランス発行日 平成23年3月31日⑴担意識がまだ色濃かった時代ですから、女性たちは「楽しい時代をもう少し先延ばしに」というところもあったのかもしれません。 会社のなかでは、男性の補佐的仕事がほとんどで、自己実現できない女性たちは、「本当の私」を見つけようと「自分磨き」に向かいます。会社帰りのお稽古ごとが盛んで、資格取得や趣味に週にいくつものスクールに行く女性も多くいらっしゃいました。海外留学や海外で仕事をする女性たちも増えてきました。男性社会の日本では、「自分が活かされないから」です。 ここ数年、日本では少子化対策として、子育て支援が盛んですが、人口減少、少子化の最大理由は、未婚化晩婚化によるところが多いと思います。経済的に豊かな国は少子化に向かうのは当然ですが、日本の少子化対策は欧米に比べ、20年も30年も遅れをとっています。これは、「男女共同参画社会づくり」の遅れと重なります。 1975年、メキシコで開催された世界女性会議で、男女平等は、機能平等から事実平等へと舵が切られました。それまでは、「男は仕事、女は家庭」という役割は固定したままでの平等でしたが、それでは、本当の意味での平等は進まない、固定的役割分担をはずして平等を実現しなければ、と論議されました。その後、女子差別撤廃条約が締結されます。この時代、欧米諸国は、大きく政策転換し、少子化対策に成功します。日本でも、79年に同条約を批准し、85年に男女雇用機会均等法が、1999年男女共同参画社会基本法が制定されます。女性を取り巻く環境は大きく変化したものの、男女共同参画社会への道はまだまだ遠いです。女性の議員数、管理職率など低いまま、大企業の女性社長など聞いたことがありません。国は、2020年までに指導的立場、管理的立場にある女性のパーセントを30%にするという目標を立てています。今、2011年。たったの9年で一体どうやって実現しようとしているのでしょうか。 しかしながら、最近、企業は急激に変わろうとしているところが目立ってきました。女性活用推進室や、ダイバーシティ推進室などの部署をつくって、目標値をたて、本気になって女性活用をしようとしています。2003年に公布された次世代育成支援対策推進法ができたことが大きいと思います。最初は301人以上でしたが、現在は101人以上の従業員のいる企業は、従業員の仕事と子育ての両立を支援するための雇用環境の整備等について行動計画を策定しなければいけないのです。そのなかには、男性の育児休業取得率の目標値もあります。女性の育児休業取得率は、9割前後を推移していますが、その前に、働く女性の7割近くが第1子出産で退職するのが現実です。これは、「女性が家事や育児をするものだ」という価値観、固定的な役割分担意識が根強いからです。日本の6歳以下の子どものいる 1985年から福岡で働く女性向けの情報誌の編集に携わり、93年に起業、2010年4月、福岡県男女共同参画センターあすばるの館長に就任しました。17年社長業をした株式会社アヴァンティは、会社設立2年目に入社以来ずっと私を支えてくれた当時の副社長に社長を交代して、私はフルタイムで男女共同参画を推進する拠点施設での仕事に全力投球しているところです。21名のかわいい社員たちを置いて寂しくもありましたが、あすばる館長職は任期があります。その間、きっと全員が成長してくれる、新社長は本物の経営者として格段に成長してくれると楽しみに思い、現在は顧問として見守っています。「女性が自分の可能性を発揮して、生き生きと活躍できる社会へ。社会変革の原動力になる」が企業理念でもあり、私自身の使命だと思っていましたので、行政の立場からその仕事ができることは新しい挑戦でおもしろそうだと思い、お引き受けしました。 今日は、私自身の体験、福岡の働く女性たちと語り合ってきた25年余りの人生を通して男女共同参画を話してみたいと思います。 私が大学を卒業したのは、1982年。「4大卒は就職もなければお嫁のもらい手もない」と言われた時代でした。あれから、約30年。隔世の感があります。1985年男女雇用機会均等法が制定されました。最初の均等法はザル法だとか言われ、その後、何度も改正されていますが、私たち世代にとって画期的な法律でした。その前までは男女で賃金が違うのは当たり前、4大卒の女子は企業の説明会に行くことすらできませんでした。法律ができることで、それまでの女性の仕事は一般職、男性並みの仕事は総合職と分かれ、総合職に採用される女性は多くの男性に混じって1名だけ、などという会社も多かったですが、まずは、「平等」の第一歩に乗ったというところは大きかったと思います。その頃から「25歳までに結婚する」のでなく、独身女性が自分で稼いだお金を使って食事したり、旅行したり、自由を謳歌するようになってきました。 さて、この時代に未婚率が急激に上がっていきます。お手元のグラフを見ますと、女性の20代後半の未婚率は、1975年には20%、85年に30%、いまや60%です。30代前半女性は少し遅れて、85年までは10%以下だった未婚率が2000年代には30%を越え、さらに上昇します。男性の未婚率も時を同じくして上昇します。 80年代、女性たちは、仕事のおもしろさに目覚め、自由とお金を得ます。後半のバブル期に、女性のお給料に大きな変化があったわけではありませんが、福岡でも親富孝通りあたりでは若者たちは不夜城のように浮かれ、グルメが流行し、全国的流行では、「あっシーくん」や「みつぐくん」などの言葉が流行語ともなっていきました。世間の意識としては、「男は仕事、女は家庭」という固定的役割分女性が自分の可能性を発揮して活躍できる社会を目指して~いま、社会が変わるとき~福岡県男女共同参画センターあすばる館長 村山 由香里 基調講演

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